田中 信子(たなか のぶこ)さん、土屋 洸子(つちや ひろこ)さん、福岡 澄子(ふくおか すみこ)さん


女性の引揚体験者3 名を迎え、学芸員が聞き手となり、女性の視点から見た戦争に迫ります。

  ● 3月29日(日) 14:00~ (約90分)

この座談会に関連する企画展「女性たちの戦争展」についてはこちら

※語り部の都合により、内容を変更する場合があります。

■■プロフィール■■
田中 信子さん
昭和14(1939)年3月、満州(現・中国東北部)・黒龍江省生まれ。
新潟県から満州に渡った開拓団で、最初の子どもとして生まれる。
昭和20(1945)年8月、開拓村で終戦を知る。
10月、匪賊に襲われ母を失い、自身も肩を負傷する。
その後、祖父ら家族5人でハルビンまで徒歩で逃避行。
ハルビンから列車で満州を南下。
昭和21(1946)年、葫蘆島から京都府の舞鶴港に引揚げ。

土屋 洸子さん
昭和8(1933)年1月、鳥取県生まれ。
昭和11(1936)年、父が満州・公主嶺の農事試験場に赴任のため、家族で公主嶺に移住。
昭和20(1945)年4月、新京(現・長春)の敷島高等女学校へ進学し、寄宿舎に入る。
8月、ソ連軍の爆撃を受け、寄宿舎から公主嶺の両親の元に戻り、公主嶺で集団避難生活を送る。
昭和21(1946)年7月、父が技術留用者となったため、両親の引揚げが許可されず、妹と2人で日本人引揚団に加わる。
7月末、葫蘆島から福岡県の博多港に引揚げ。

福岡 澄子さん
昭和11(1936)年4月、満州・大連生まれ。
昭和14(1939)年5月、貿易商社に勤める父の転勤先パリに移る。
昭和19(1944)年8月、連合国軍の攻勢に伴い、パリからベルリンへと逃避。
昭和20(1945)年5月、ソ連軍の護衛により、ベルリンからモスクワへ。
さらに、シベリア鉄道で満州へ向かう。
奉天(現・瀋陽)で避難生活を送り、そこで終戦を知る。
昭和21(1946)年7月、葫蘆島から山口県の仙崎港に引揚げ。

平和祈念展示資料館 (総務省委託)