牛窪剛(うしくぼつよし)さん 抑留体験者
「歌で励ましあった収容所生活」
●7月15日(土) 14:00~
■■プロフィール■■
大正14(1925)年8月、神奈川県生まれ。
昭和20(1945)年1月、新発田連隊に入隊後、朝鮮・会寧の第75連隊に配属。
終戦後、ソ連軍により武装解除され、シベリアのホルモリンで
抑留生活を送る。
抑留中、森林伐採作業のほか、鉄道敷設作業に従事。
政治経済講習所で4ヶ月間教育される。
昭和23(1948)年6月、ナホトカから京都府の舞鶴港に復員。
手塚元彦(てづかもとひこ)さん 引揚体験者
「奉天から幼い妹2人と引揚げ」
●7月16日(日) 14:00~
■■プロフィール■■
昭和8(1933)年9月、 満州(現・中国東北部)・奉天(現・瀋陽)生まれ。
昭和20(1945)年8月15日、奉天で終戦を知る。
9月、父親はソ連軍によりシベリアに抑留され、翌年栄養失調で亡くなる。
昭和21(1946)年6月、母親が奉天で病死する。
その後、兄妹で孤児院に入る。
年長者だったため、孤児院で亡くなった子どもたちの遺体運びなどをする。
9月、妹2人を連れて、葫蘆島から長崎県の佐世保港に引揚げ。
吉田勇(よしだいさむ)さん 引揚体験者
「ソ連の潜水艦に襲われて 三船殉難事件で見たもの」
●7月21日(金) 14:00~
■■プロフィール■■
昭和10(1935)年9月、樺太・敷香生まれ。
終戦間際になって、樺太防衛のため父が義勇軍に、
兄が鉄道輸送隊に動員される。
昭和20(1945)年8月17日、母と6人の子どもたちで、
敷香から大泊に列車で移動。 8月21日、第二新興丸に乗船。
22日、ソ連軍の潜水艦の攻撃を受けて破損するが、
北海道留萌港にたどり着く。家族で甲板にいたため運よく助かったが、
他の乗客の悲惨な光景を目の当たりにした。 同様に攻撃を受けた小笠原丸、泰東丸は沈没し、多くの民間人が犠牲となった。(三船殉難事件)
大矢東(おおやあずま)さん 元兵士
「戦闘をかいくぐって冬山の逃避行」
●7月22日(土) 14:00~
■■プロフィール■■
大正13(1924)年11月、神奈川県生まれ。
昭和19(1944)年9月、繰上げ徴兵により満州(現・中国東北部)・
東寧の第1国境守備隊に入隊。
昭和20(1945)年3月、下士官候補学校砲兵科に入り、東寧の砲兵陣地に配属される。 8月9日のソ連軍の侵攻を受け、戦闘を繰り返し、食料を探しながら逃避行を続ける。
昭和21(1946)年5月、逃避行中、八路軍(中国共産党軍)に捕まり、
この時初めて終戦を知る。
9月、葫蘆島から長崎県の佐世保港に復員。
山田治男(やまだはるお)さん 抑留体験者
「シベリア・ブラゴエシチェンスクでの3年間の体験」
●7月28日(金) 14:00~
■■プロフィール■■
大正14(1925)年9月 三重県生まれ。
昭和20(1945)年2月、関東軍第4軍135混成旅団黒河璦琿部隊へ入隊。
8月9日ソ連軍が侵攻、18日までソ連戦車隊と交戦。その後、孫呉にて
武器解除。ソ連へ抑留され、ブラゴエシチェンスクで抑留生活を送る。
昭和23年6月、ナホトカから復員船信濃丸にて京都の舞鶴港に復員。
中島裕(なかじまゆたか)さん 抑留体験者
「陸軍航空兵からシベリア・タイシェットでの抑留」
●8月4日(金) 14:00~
■■プロフィール■■
大正15(1926)年5月、北海道生まれ。
昭和19(1944)年4月、陸軍特別幹部候補生(第1期)に志願し、
千葉県柏第4航空教育隊に入隊。
8月以降、満州(現・中国東北部)の温春、間島、遼陽、公主嶺等で
訓練を受ける。
昭和20(1945)年7月、第39飛行場大隊東京城分遣隊に復帰し、
航空士官学校生徒の兄と同じ部隊になる。
終戦後、ソ連軍により武装解除される。
10月、敦化から牡丹江まで250キロを徒歩で移動し、牡丹江郊外の掖河で物資の積載作業を命じられる。
11月、タイシェットの収容所に移され、伐採作業や医務室作業等に従事。
昭和23(1948)年6月、ナホトカから京都府の舞鶴港に復員。
鈴木忠典(すずきただのり)さん 元兵士
「志願して海軍へ 魚雷艇で戦って」
●8月14日(月) 14:00~
■■プロフィール■■
昭和3(1928)年11月、秋田県生まれ。
昭和18(1943)年、志願し、14歳で海軍横須賀海兵団に入団。
水雷学校の訓練科、更に特別訓練科で魚雷艇の操作を学ぶ。
昭和19(1944)年2月、インドネシア中部のセレベス(セラウェシ)島、
メナド海軍基地に配属される。
ソロモン諸島などに来襲するアメリカ艦隊に対し、魚雷艇で出撃を繰り返す。
その後、潜水艦乗務員として、硫黄島への物資輸送を行い、
ついで台湾から沖縄への物資輸送の任に就く。
昭和20(1945)年9月、台湾沖洋上で米軍艦により武装解除され、
沖縄の収容所へ。
昭和21(1946)年3月、沖縄から長崎県の佐世保港に復員。
上野辰熊(うえのたつくま)さん 元兵士
「陸軍飛行兵となって」
●8月15日(火) 14:00~
■■プロフィール■■
昭和3(1928)年 山口県生まれ。
昭和18(1943)年10月、陸軍少年飛行兵として大刀洗陸軍飛行学校に入校。
陸軍生徒として基礎訓練を受ける。
昭和19(1944)年4月、飛行兵採用、同校京城教育隊へ配属。九五式中練
(赤トンボ)による飛行訓練を受け、操縦技術を習得。
昭和19(1944)年8月、朝鮮平壌に於いて九九式襲撃機の搭乗員となり、
助教要員として訓練や特攻機の受領輸送などに従事する。
昭和20(1945)年5月、鹿児島県の万世飛行場で沖縄航空作戦中の飛行第66戦隊に転属、出撃待機するが、沖縄戦が終結したため、大刀洗北飛行場へ転進。
終戦後、部隊は解散し、山口県の叔父の家で生活を送る。
土屋洸子(つちやひろこ)さん 引揚体験者
「満州公主嶺 私の故郷」
●8月18日(金) 14:00~
■■プロフィール■■
昭和8(1933)年1月、鳥取県生まれ。
昭和11(1936)年、父が満州(現・中国東北部)・公主嶺の農事試験場に
赴任のため、家族で公主嶺に移住。
昭和20(1945)年4月、新京(現・長春)の敷島高等女学校へ進学し、
寄宿舎に入る。 8月、ソ連軍の爆撃を受け、寄宿舎から公主嶺の両親の
元に戻り、公主嶺で集団避難生活を送る。
昭和21(1946)年7月、父が技術留用者となったため、両親の引揚げが許可
されず、妹と2人で日本人引揚団に加わる。7月末、葫蘆島から福岡県の博多港に引揚げ。
西崎信夫(にしざきのぶお)さん 元兵士
「駆逐艦雪風とともに見たもの」
●8月20日(日) 14:00~
■■プロフィール■■
昭和2(1927)年1月、三重県生まれ。
昭和17(1942)年9月、海軍特別年少兵の第1期生として広島県の
大竹海兵団に入団。
昭和18(1943)年9月、横須賀の海軍水雷学校に入校し、繰上げ卒業。
11月、呉軍港にいた駆逐艦雪風の魚雷発射管射手として配属される。
昭和19(1944)年、マリアナ沖海戦やレイテ沖海戦に参加。
昭和20(1945)年、沖縄水上特攻では、戦艦大和の護衛として従う。
大和が沈没する中、生存者らを救助する。 終戦後、引揚船として使われた雪風に再び乗務し、海外引揚業務に従事する。
昭和22(1947)年10月、復員。
西倉勝(にしくらまさる)さん 抑留体験者
「シベリアで3年の厳しい強制労働を耐え忍んで」
●8月25日(金) 14:00~
■■プロフィール■■
大正14(1925)年5月 新潟県生まれ。
昭和20(1945)年1月に現役兵として出征、朝鮮北部とソ連との国境付近に配属される。
終戦後、ソ連軍により武装解除され、徒歩と貨車でソ連領へ移動する。
抑留中、土木工事、製材工場、伐採作業、住宅建設、農作業等、
様々な労働に従事。
昭和23(1948)年7月、ナホトカから京都府の舞鶴港に復員。
福岡澄子(ふくおかすみこ)さん 引揚体験者
「ヨーロッパからアジアへの引揚げ」
●8月26日(土) 14:00~
■■プロフィール■■
昭和11(1936)年4月、満州(現・中国東北部)・大連生まれ。
昭和14(1939)年5月、貿易商社に勤める父の転勤先パリに移る。
昭和19(1944)年8月、連合国軍の攻勢に伴い、パリからベルリンへと逃避。
昭和20(1945)年5月、ソ連軍の護衛により、ベルリンからモスクワへ。
さらに、シベリア鉄道で満州へ向かう。
奉天(現・瀋陽)で避難生活を送り、そこで終戦を知る。
昭和21(1946)年7月、葫蘆島から山口県の仙崎港に引揚げ。