常設展示の3つのコーナーに展示している資料を紹介しています。気になるコーナーをクリックし、資料を見てみましょう。
兵士が身に着けた認識票です。どんなことが刻んであるのでしょうか?
認識票には、個人を識別するために、部隊番号や氏名が刻まれています。 これは、満州(現・中国東北部)牡丹江[ぼたんこう]省(現・中国黒竜江[こくりゅうこう]省)にいた部隊に配属された兵士に支給されたものです。
デジタルブックの閲覧には下記の環境を推薦しています。
兵士が身に着けたチョッキです。 どんなことを願って作ったのでしょうか?
このチョッキは綿でできており、水で濡らすと切れにくくなるという昔の知恵から作られました。
武運が久しく続くことを願って、千人針が縫いこまれています。
戦地の兵士のために送った袋です。中にはどんなものを詰めて送ったのでしょうか?
慰問袋とは、戦地の兵士を励ますために、日本から送った袋です。 中には、日用品や娯楽用品、雑誌、お守り、手紙、菓子などを詰めて送りました。
兵士が使用した二重飯ごうです。 二重になっていることで、どんなことができたのでしょうか?
飯ごうとは、合金製で底を深く作った炊飯兼用の弁当箱のことです。 外ごうの中に内ごうが収納されており、飯と汁を同時に作ることができました。
抑留者が身に着けた防寒服です。どうして袖がないのでしょうか?
シベリアの冬は零下[れいか]30~40度になります。 この外套は、持ち主が飢えに耐えかね、現地の労働者が持っていたパンと袖を交換したために、袖がありません。
抑留者が使用したのこぎりです。これを使って、どんな作業に従事したのでしょうか?
抑留者は、このような斧[おの]やのこぎりなどを使って伐採作業に従事しました。 伐採は、ソ連(現・ロシア)によるシベリア抑留者に課せられた強制労働のひとつです。 多くの帰還者が特につらかった作業として挙げるのが伐採でした。
抑留者が作った靴下です。どんなものを使って作ったのでしょうか?
この靴下は、抑留者がソ連(現・ロシア)支給の布を使って作りました。 糸は布をほぐしたもので、自作の針を使っています。 周りの目を盗んで手に入れた物資などを使って、多くの抑留者が生きていくための道具を作りました。
抑留者に支給された黒パンです。1日にどのくらいの量が支給されていたのでしょうか?
昭和21(1946)年の春頃までは、多くの収容所の抑留者たちには、1日に約350gの黒パンが支給されました。 そのほかには、雑穀を材料とした粥[かゆ]、ごく少量の野菜などが入ったスープしか支給されず、 多くの抑留者が栄養失調になり、最初の冬に多数の犠牲者を出すこととなりました。
引揚者が作ったワンピースです。どんなものを使って作ったのでしょうか?
このワンピースは、母親が満州(現・中国東北部)で生まれた娘に、 初めて日本についたときに着せるために、亡くなった赤ん坊のおむつを使って作りました。
引揚者が背負ったリュックサックです。中にはどんなものを詰めたのでしょうか?
リュックサックには、乾燥米などの食料や衣服をできる限り詰めました。 多くの母親が、大きなリュックサックを背負い、大きな荷物を持ちながら、子どもを連れて祖国日本を目指しました。
引揚者が胸に付けた名札です。どんなことが書いてあるのでしょうか?
引揚げ時に少年の胸に付いていた名札で、氏名や行き先などが書かれています。 引揚げの際は、このような札を胸などに付けました。
引揚者を乗せた船です。どれくらいの大きさだったのでしょうか?
興安丸は、戦後海外各地から引揚者を乗せた代表的な引揚船です。 全長は約126メートルあり、約2,000人を乗せることができました。