戦争での苦しくつらい出来事を体験者が語ります。
元兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の労苦を聞くお話し会です。(約60分)
遠藤尚次(えんどうしょうじ)さん 抑留体験者
「シベリアで亡くなった戦友への想い」
● 2月18日(土) 14:00~
■■プロフィール■■
大正15(1926)年2月、神奈川県生まれ。
昭和19(1944)年1月、東部第62部隊に入隊後、
中国・済南の独立歩兵第111大隊に配属。
昭和20(1945)年7月、朝鮮・咸興に移動。
終戦後、ソ連軍による武装解除の後、船でウラジオストックに運ばれ、
極東地方のイマン(現・ダリネレチェンスク)で抑留生活を送る。
抑留中、森林伐採作業、農作業等に従事。
昭和23(1948)年5月、ナホトカから京都府の舞鶴港に復員。
西崎信夫(にしざきのぶお)さん 元兵士
「駆逐艦雪風とともに見たもの」
● 2月19日(日) 14:00~
■■プロフィール■■
昭和2(1927)年1月、三重県生まれ。
昭和17(1942)年9月、海軍特別年少兵の第1期生として
広島県の大竹海兵団に入団。
昭和18(1943)年9月、横須賀の海軍水雷学校に入校し、繰上げ卒業。
11月、呉軍港にいた駆逐艦雪風の魚雷発射管射手として配属される。
昭和19(1944)年、マリアナ沖海戦やレイテ沖海戦に参加。
昭和20(1945)年、沖縄水上特攻では、戦艦大和の護衛として従う。
大和が沈没する中、生存者らを救助する。
終戦後、引揚船として使われた雪風に再び乗務し、海外引揚業務に従事する。
昭和22(1947)年10月、復員。
大矢東(おおやあずま)さん 元兵士
「戦闘をかいくぐって冬山の逃避行」
● 3月19日(日) 14:00~
■■プロフィール■■
大正13(1924)年11月、神奈川県生まれ。
昭和19(1944)年9月、繰上げ徴兵により満州(現・中国東北部)・東寧の
第1国境守備隊に入隊。
昭和20(1945)年3月、下士官候補学校砲兵科に入り、
東寧の砲兵陣地に配属される。
8月9日のソ連軍の侵攻を受け、戦闘を繰り返し、食料を探しながら
逃避行を続ける。
昭和21(1946)年5月、逃避行中、八路軍(中国共産党軍)に捕まり、
この時初めて終戦を知る。
9月、葫蘆島から長崎県の佐世保港に復員。
鈴木忠典(すずきただのり)さん 元兵士
「志願して海軍へ、魚雷艇で戦って」
● 3月20日(月・祝) 14:00~
■■プロフィール■■
昭和3(1928)年11月、秋田県生まれ。
昭和18(1943)年、志願し、14歳で海軍横須賀海兵団に入団。
水雷学校の訓練科、更に特別訓練科で魚雷艇の操作を学ぶ。
昭和19(1944)年2月、インドネシア中部のセレベス(セラウェシ)島、
メナド海軍基地に配属される。
ソロモン諸島などに来襲するアメリカ艦隊に対し、魚雷艇で出撃を繰り返す。その後、潜水艦乗務員として、硫黄島への物資輸送を行い、
ついで台湾から沖縄への物資輸送の任に就く。
昭和20(1945)年9月、台湾沖洋上で米軍艦により武装解除され、
沖縄の収容所へ。
昭和21(1946)年3月、沖縄から長崎県の佐世保港に復員。
丸澤一也(まるさわいちや)さん 引揚体験者
「満州のちびっ子開拓義勇隊」
●3月25日(土) 14:00~
■■プロフィール■■
昭和5(1930)年2月、東京都生まれ。
昭和19(1944)年3月、満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所(茨城県)に入る。
昭和20(1945)年3月、内原訓練所を出発し、満州(現・中国東北部)の
勃利訓練所に入る。
5月、遼陽に移る。383部隊の後方要員として農作業や警備などを行う。
8月中旬、大人から終戦を知らされる。9月中旬、義勇隊としての団体生活が危険になり、分散して日本人家庭に同居させてもらう。
遼陽の義勇隊は自然解散となる。食料を確保するため、
満州人農家の手伝いや、闇市での商売をしながら、避難生活を続ける。
昭和21(1946)年7月、葫蘆島から福岡県の博多港に引揚げ。
福岡澄子(ふくおかすみこ)さん 引揚体験者
「ヨーロッパからアジアへの引揚げ」
●3月26日(日) 14:00~
■■プロフィール■■
昭和11(1936)年4月、満州(現・中国東北部)・大連生まれ。
昭和14(1939)年5月、貿易商社に勤める父の転勤先パリに移る。
昭和19(1944)年8月、連合国軍の攻勢に伴い、パリからベルリンへと逃避。
昭和20(1945)年5月、ソ連軍の護衛により、ベルリンからモスクワへ。
さらに、シベリア鉄道で満州へ向かう。
奉天(現・瀋陽)で避難生活を送り、そこで終戦を知る。
昭和21(1946)年7月、葫蘆島から山口県の仙崎港に引揚げ。